物語好きのブログ

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「怪物はささやく」 三つの物語と、第四の物語 感想

「わたしが三つの物語を語り終えたら、
今度はおまえが四つめの物語を
わたしに話すのだ。
おまえはかならず話す・・・・・・
そのためにこのわたしを呼んだのだから」

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これは、全ての真実を映し出す物語だ。

人にとって物語とは癒しの存在だ。
虚構で彩られたその世界は、ある意味では理想郷といってもいいだろう。
物語で活躍する主人公に自己を投影し、現実では得られない体験を得ることができる。たとえそれがどういった形であっても、それは癒しの存在だ。

だが、逆に物語とは凶暴性も含んでいる。
悲しい物語は見るものを傷つけ、苦しみ、自分の肉体を切り刻む。
素晴らしい物語であればあるほど荒々しく、全く制御ができない。

そして物語とは真実を映し出すものだ。時に残酷で、時に優しく。

「怪物はささやく」は真実の物語だ。
タイトルと表紙から察するに、薄暗いような、ダークな印象を持つが、この物語はそうではない。
読者をみるみる物語の世界に引きずり込み、ひっそりと、そして穏やかに、それでありながら無慈悲に心を引き裂いてくる。
過去に取り残してきた「何か」を無理やり想起させ、記憶や情動を冷酷無残にかき回す。その嵐の中に残るのは真実だけだとしても。

すごく面白かった。なんだか新鮮な気分を味わえた。

本編に触れていく。

あらすじ

主人公のコナーは十三歳で、母親と二人暮らしをしている。
去年の春から母親は重い病気に罹っており、それはコナーにとって辛いことだった。
追い討ちをかけるように、学校での友達や先生からも同情心をもたれ、腫れ物に触れるように接してくるようになる。
誰からも普段どうりに接してくれない疎外感。周囲からの孤独にコナーは苦しみを覚えていた。

ある晩、コナーの家の前に怪物が現れる。その姿はイチイの木を象った怪物だ。見るも恐ろしい、凶暴な怪物だ。
だがコナーはその怪物を恐れることはなかった。コナーは言う。

「少なくとも、お前はこわくない」「もっとこわいものだって見たことあるし」

コナーは毎晩、もっと恐ろしいものを悪夢の中で見ていた。

それ以降、怪物はコナーの所へやってくる。そして怪物はコナーに聞かせるのだ。三つのお伽噺のような物語を。

来て、おまえに三つの物語を話して聞かせる。以前、わたしが歩いたときの物語を三つ、聞かせる。

本書のモノクロの挿絵がいい味を出している。徐々にページの端ににじみ出てきて、次の見開きで一気に襲い掛かる。臨場感があってわくわくした。そしてこの怪物のセリフ。なんとも言いがたい恐怖を生み出している。

物語はこの世の何より凶暴な生き物だ。物語は追いかけ、噛みつき、狩りをする。

怪物はそう語る。

わたしが三つの物語を語り終えたら―――今度はおまえが四つめの物語をわたしに話すのだ。
おまえが第四の物語をわたしに話す。お前は真実を語るのだ。

コナーは、最初は怪物の語る意味がわからなかった。その第四の物語のことが。だが、コナーはあることに気づく。
コナーがひた隠しにしていた「あのこと」を。

コナーという少年

コナーは十三歳のうら若い少年だ。
幼馴染のリリーとも少し前まで友人だったが、あることがきっかけに今は不仲となっていた。だからいじめられるコナーをリリーが助けても、それをコナーは感謝することがなかった。むしろ、その件でリリーが先生に叱られることになったりもした。だがそれをコナーは嘘をつき、見捨てたりもした。

「悪かったなんて思ってない」
「それに、ぼくはリリーを許さない」

「ママに言われたの。コナーのこと、何かと大目に見てあげなくちゃだめよって」

「きみのママは何もわかっていない」

リリーの母親とリリーが原因で、学校中にコナーの母親の容態のことが知れ渡っていた。それはリリーは悪意があってやったわけではないと、コナーは頭では理解していた。リリーは悪くないと。だが十三歳の心はそれを許すことはできなかった。それを許してしまうと、今抱えている苦悩をどこにも発散することができないでいたからだ。重い病気の母親。じわりじわりと迫りくる死の影。次第にそれらはコナーを追い詰めていた。
いじめっこのハリーもまた、コナーを追い詰める一因だっただろう。ハリーはいじめっこの中では奇特な存在といっていいだろう。どこか理性的で、コナーのことを対等に見ているように感じた。
コナーの十三歳の心が綺麗に描写されていた。

三つの物語と、第四の物語

怪物は三つの物語を語った。
一つ目に語った物語は、女王は善良な魔女であり、同時に邪悪な魔女だった。王子は殺人者であり、同時に救世主だった。
二つ目の物語も同様に、薬屋は欲深い人間だった。だが正しい考えの持ち主だった。司祭は身勝手な人物で、それと同時に思いやりのある人物だった。
三つ目の物語は、だれからも見えなかった男の孤独は、見えるようになってかえって深まった。
コナーは困惑した。この物語たちが何を伝えたかったのかわからなかった。
善と悪が渾然一体となった登場人物に、コナーは困惑を覚えた。
だがその物語に影響を受けたコナーは、己の内に秘めた暴力性を表に出すようになった。
物語とは恐ろしいものだ。人を駆り立て、信じられないようなことをやってのけさせる。

そこから物語は佳境を迎える。母親の容態が悪化し、重篤な状態に陥った。
コナーは怪物に訴えた。母を治してほしいと。だが怪物は答える。

わたしが来たのは、おまえの母さんを治すためではない。おまえを癒すためだ。

そこから怪物はコナーに夢を見せる。それはコナーの心の物語だ。先ほど軽く触れた「あのこと」でもある。
コナーは毎晩夢を見ていた。母親が「死」に引っ張られ、悲鳴だけを残して底なしに暗闇に連れ去られてしまう夢を。
コナーはその夢の中で、毎晩母親を助けようともがいていた。母親の手を掴み、その手を放すまいと苦心していた。
だがコナーはその夢の中で何度も母親の手を離してしまう。

おまえは手を放した。

怪物は言う。真実を。

「違う、母さんは落ちたんだ。あれ以上、手を掴んでいられなかった。重たくて重たくて、もう無理だった」

コナーは否定する。自分は精一杯やったのだと、だから仕方の無いことなんだと自分に納得させようとしていた。

だから、自分から手を放した。おまえは自分から手を放した。

怪物は真実を突きつける。
コナーは真実を話すことができないでいた。それを認めてしまうと、自分が醜い心を持った、醜悪な人間にだということを認めてしまうことになるからだ。「自分は悪人じゃない」その心が自分を縛めていた。
最初からコナーは気づいていたのだ。真実に。

母さんが落ちてくれればいいと思った。

怪物はそう告げる。それが真実だと。母親の死の重みに、耐えることができないのだと。

「もうじき母さんはいなくなるってわかっててただ待っているなんて、もう耐えられないからだ!終わってほしいんだよ!さっさと終わらせたいんだ!」

コナーは認める。それが真実なんだと。

人は苦痛から解放されるために、犠牲を厭わない。
なぜなら苦痛はそれほど自分を切り刻むものだからだ。だから、そのために人はあらゆる手段を尽くす。嘘をつき、人を傷つけ、自分を安全地帯に持っていく。それこそが人間なのだろう。僕は、そう感じた。

おまえが何を考えようと関係ないのだよ。人間の心は、毎日、矛盾したことを幾度となく考えるものだ。おまえは母さんにいなくなってもらいたいと願った。一方で、母さんを助けてくれとわたしに懇願した。人の心は、都合のよい嘘を信じようとするものだ、しかし同時に自分をなぐさめるための嘘が必要になつような、痛ましい真実もちゃんと理解している。そして人の心は、嘘と真実を同時に信じた自分に罰を与えようとするのだ。

人には善もあるし悪もある。清濁をあわせ持った心が人間らしいのだと。それをどう捉えるか、どう受け入れていくか、それが大人になっていくのに必要な条件なんだと思う。コナーはそれを認めた。受け入れた。そして四番目の物語を母に語った。

最後の一時、コナーの真実の物語が動き出した。それは儚い一時だ。母との別れ。
悲しいはずなのに、読んでいるとそれでも心が温まる。
それはコナーが心底から母のことが好きだったのだと、物語を通じて伝わってきたからだ。

物語は真実を映し出す。時に悲しく、時に優しく。

怪物はささやく

怪物はささやく