物語好きのブログ

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ボノロン さいごのおきゃくさんの巻

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ボノロンの記事としては二つ目になる。
一応、知らない人もいると思うのでここでボノロンの説明をしておこうと思う。
はてなブログの中でボノロンに関する記事を見かけたことがないので、僕がちゃっかりやってしまおうという考えでもある。

ボノロンとは?

ざっくりといってしまえばセブンイレブンで偶数月の十五日に発行される無料の絵本だ。
北斗の拳」の作者である原哲夫がプロデュースしており、かなり力を入れている。

小さな子を持つ親にとって、絵本というのはかなり重要役割を果たしている。子供に読み聞かせることで子供の成長に繋げるキーアイテムにもなりうるし、読む親にとってもなかなか考えさせられる感動的な話となっている。
何より子供というのは絵本が大好きだ。だから小さい子供を持つ親にはボノロンを是非読んでもらい、子供に読み聞かせしてあげるとよい。きっと役に立つだろう。

子がいなくとも、普通に絵本として読むのもありだ。こういった絵本は毎度のことながら泣かされる。そして非常に完成度が高い。誰が読んでも楽しめるだろう。
絵本の特徴といえば「絵」そのものだ。このボノロンも例に漏れず、鮮やかな色彩でありながら柔らかなタッチで描かれており、読む人の心を打つ。

セブンイレブンにでも立ち寄ったら、軽くご覧になってはいかがだろうか。


感想

いつもお客でいっぱいのケルルの店があった。ケルルがこしらえるキノコ料理はおいしくて有名だった。
ケルルは年をとり、店を閉じることを決意していた。もうこれ以上続けることはできなと踏んだのであろう。
ケルルには心残りが一つだけあった。ケルルはそれを母親の墓の前で願う。

一度だけでいい。この店で母さんにボクの料理を食べてもらいたかった

子供は様々な影響を受け、子供は成長していくものだ。
そのなかで母親の存在というのは、子供の人生を一番大きく変える要因だと僕は思う。
7人兄弟の6番目、ケルルは目立たない男の子だった。たまに名前も忘れ、時には誕生日を忘れてしまうほどに。ケルルの望みはお母さんにかまってもらうことだけだった。そのためにケルルは兄弟が誰もやらないことをやりはじめる。
―――それは台所のお手伝い。ケルルの優しさと、それでありながらお母さんにかまってもらいたいという想いから生じた行動だった。
その後ケルルは料理もつくるようになる。そして料理がおいしいと母さんがほめてくれもした。それがまたケルルにとっては嬉しく、そのまま大人になり料理人になった。
純粋な行動。誰か大切な人に褒められたい。その想いは人生を大きく動かすものだ。それも良い方向に。

「もう一度・・・・・ほめられたかった・・・・」

ケルルは思いだしていた。おかあさんのやさしかった笑顔を。

お店が閉まる最終日、店を閉めようとしていたその時、みすぼらしいマントをきたおばあさんが入ってくる。おばあさんは何か食べものを欲しがっていた。
ケルルは自分のためにとっておいたスープをおばあさんに渡す。その時のケルルは死んだお母さんを思い出していた。
このときの絵が僕はとても素敵だと思う。ケルルの想い、優しさが絵からじわりじわりと僕に届いてきた。

おばあさんはスープを口にすると嬉しそうに答えた。

「ああ!おいしいねぇ。ほっぺがおちそうでこまってしまうよ!」

ケルルは驚いていた。おばあさんの口にした言葉は、お母さんの口癖とそっくりだったことに。

ケルルがあわててもう一皿スープをあたためて戻ってくると、そこにはもうおばあさんがいなかった。店を飛び出し追いかけると、お母さんのお墓の前にシイの木の枝があるだけだった。
ケルルはいう

「夢でもいいんだ・・・・・」
「ボクは、母さんにほめられたくて・・・・・ただ・・・・・ほめられたくて・・・・・そのために、がんばった・・・・。いや、がんばれたんだ。だから・・・」

ケルル自身、それは夢でもいいと思っていたのだろう。自分はただお母さんにほめられたくて料理をつくってきた。念願、あるいは願望といったほうがいいかもしれないが、ケルルはただお母さんにほめられたかっただけなのだ。それが原動力となり、今こうしてケルルはここにいる。そのときのケルルの気持ちは感謝と慈しみの気持ちでいっぱいだったのだろう。
最後の絵がそれをあらわしているように感じた。

澄み渡ったような夕暮れのオレンジの中、散りばめられたようなうっすらと輝く星を背景に、鮮やかだが優しい緑の草原が二つの色彩として引き立てあっている。その中で墓を抱きしめるケルル。

この絵が、とても印象的に残っている。