物語好きのブログ

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僕は雨の日が好きだ

雨の日は、なんだか楽しい気持ちにもなるし、悲しい気持ちにもなる。
比喩の表現として雨は涙で例えられる場合が多い。だからこそ悲しい気持ちを連想する場合もあるが、僕の場合は楽しい気持ちがそれを上回っている。

僕は雨の日は家でじっとするのが嫌だ。外に出て雨の音を聞き、自ら雨に打たれたいと心から望んでいる。だから実際に雨に打たれにいくときもある。もちろん一人で。

子供時代から雨に打たれることはよくやっていて、現在も継続中の一種の趣味だ。
そんな趣味を友人に話すと大抵はちょっと引かれる。それ以降、僕は誰にも雨が好きだと話すのはなくなったけれど。


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雨を感じているとき、様々な原風景が心に蘇る。つらかった思い出や、楽しかった思い出。田舎でみた黄金の風景もあれば山で見た闇の世界も。雨音が僕の中にある思い出を呼び起こす。



目を閉じ雨音を聞き続けると、どこまでも終わらない滴のリズムは、沈んだ心を揺さぶり楽しい気分にさせる。
雨音が一つの音楽となるのだろう。激しい雨音は激しいビート。優しい雨音は落ち着いたピアノの旋律のように―――僕はその音楽を体で感じたいから自ら雨に打たれるのかもしれない。



夜の雨空のとき、星空は見えないと思うかもしれないが決してそんなことはない。

そこには別の星空が顔を出す。

夜の雨空を見上げると、宙に引かれた雨の軌跡が街灯にぼんやりと照らし出される。
それはまるで宇宙にある全ての星星が、この世界に降り注いでいるような幻想を胸に湧き起こす。
あるいはその逆で、僕そのものが光となり、どこまでも広がっている宇宙を移動しているような幻想をも覚える。

僕にとって、夜の雨は星空なんだ。

その星空を体感するのが好きだから、雨が好きなのかと少し考える。
でもそこで思考を止める。言葉はいらない。その感覚を大事にしたいのだ。




僕に同情の言葉や、慰めの言葉はいらないのだろう。どれだけ相手が言葉を尽くそうとも、雨音のほうが静かに僕の心に響く。

言葉の存在しない世界なら、僕はどれだけ救われたのだろうか―――なんて妄想もしてみたり。

もうじき雨の季節も終わる。
今はこの季節をもう少し堪能しておこうか。