物語好きのブログ

映画や本の感想、自分の考えを書いています。 

読んだ本を血肉化し、自分を成長させる方法

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どれだけ本を多読し知識をいれようとも、本から得た知識が必用なとき、瞬時に活用することができなければ意味がない。
どれだけ本を購入しようとも、それを本棚に埋めるだけでは意味がない。本を買うことは、その知識を獲得するという意味ではない。
難しい本を読み終えたとき、素晴らしい知識を獲得した気持ちになって、それだけで自分も賢くなったんじゃないかと思ってしまう。だが、知識を後追いする読書では自分にとって大切な「何か」を得ることは難しい。
つまり、いつでも使える状態にある知識にこそ値打ちがあり、自在に使いこなせないのであればなんの意味もないのだ。他の人物から拝借しただけの知識はただ自分の体にこびり付いたホコリのようなものであって、決して活用できない。
一方で、確実に血肉化できた知識というものは真の意味で自分のものになる。それはまるで自分の体に循環する血液のように、明確な意味を持って、自分を支える命となる。
読んだ本を自分のものにする方法を書き残す。

読む本について意識する

本を読む前にまずこれは何の本なのか意識する必要がある。この意識には二つの種類がある。
第一に、これがどういった本であるかを意識することだ。この本は何について書かれているか、どんな分類の本になるかを読む前に意識する必要があるのだ。
というのも、これがどういった本なのか知っているか知っていないかで、読書時の思考が変わってくる。知っているだけでも知識の受容の筋道が良い方向に変わってくるだろう。
どんな本なのかを判断する簡単な方法は、タイトルや目次、軽く全体を見渡すようにページをめくることで解決できる。
第二に、本に書かれている内容が自分にとってどのように重要なのか意識する必要がある。
読書という行為は能動的行為だ。つまり、自分は何か目的があってその本を手にし読書しようとしているわけである。
目的があって読書をする以上、その本をただ読むだけではなく、自分の目的に関してどのように読むのかが重要となってくる。ただ読むだけでは結局のところ自分になんの利益も得られずただ時間を浪費するだけに終わるからだ。
したがって、読む前にはその二つを明確に意識する必要がある。

アウトプットする

書くことは考えることである。
アウトプットして内容を整理し、何度も何度も書いた文を修正し編集する。入り乱れていた知識を必用な分だけ吸収し、余分なものを削ぎ落とす。完璧な知識なんかない。常に試行錯誤することで知識を自分にあった形に変形させる。そういった編集が脳に整理を行い血肉化しやすくするようになるのだ。

すぐにアウトプットする

本を読んでいる最中、突然ある考えが脳裏によぎる瞬間はないだろうか。
その考えは現状の自分にとって関係がないのかもしれないが、後々に大きな役割を果たす時が多々ある。これは日常生活でも起こりうる現象だとは思うが、読書中でもそれが起きる。
その考えを拾えるよう、常にアンテナを広げておく。つまり、すぐにメモを取る用意をしておく準備が肝心なのである。僕の場合、Evernoteに書き残すようにしている。

誰かに得た知識を話せるようになるまで理解する

自分だけが使える知識と、他者にも共通して使える知識とでは知識の価値に雲泥の差がある。なぜならば、自分だけが使える知識だと、「自分が見たい」、「自分が得たい」ものだけしか蓄積できず偏りが生じるからだ。偏りが生じるとは間違いが生じやすくなるという結果につながる。それに対して、誰かに伝えても理解してもらえるような知識ならば、普遍性が保障できる。さらに、誰かに話すという行為はそれだけでも刺激になり、脳にとって記憶が鮮明に覚えるためのトリガーにもなる。そして誰にでも話せるようになると、知識そのものの使いやすさは断然違ってくる。

何度もその本を読む

自分が「これだ!」と思った本は一度だけで読むに済ませる必要はなく、何度も熟慮し、熟読するべきだ。
その理由は二つある。
第一に、暗記力によほど自信がない限り、一度だけの読書で必用な箇所を覚えるのは難しい。一方で、何度も必用な文章を読むと、脳がそれを重要なものだと位置づけし、記憶しようと努めだす。そうなってくると自然と記憶に残るようになる。これは脳科学の研究から明らかになっている事実だが、脳が暗記するのはそれが重要か重要でないかではなくただ単純に「接触頻度」が高いからだといわれている。
脳は「これが重要だから覚えよう」「これは不要だから忘れよう」というような記憶の方法をしないのだ。
それよりも繰り返し接した情報である場合の方が自然に記憶をするようになる。
第二に、本を何度も読むというのはもう一つ別の効果がある。
それは「同じ本を二度と読むことはできない」という事実だ。
自分という人間は絶えず変化を続けている。「記憶」「考え」「経験」どれ一つとして不動のものはない。つまり、書かれている内容が同じ本であろうと、本を読む読み手が変わることで見過ごしていた肝心な要所を拾えるようになるのだ。
特に、それが自分にとって良書となるとそれが頻繁に起き、何度でも新鮮な読書体験を味わえる。そしてその新鮮な読書体験は脳を刺激し、記憶しやすくなるのだ。

間違いなく必用な知識だけをいれる

何事にも適量というものがあり、本の内容すべてを理解し、覚える必要はない。自分にとって何が大事か、何が不必要かをしっかり問い詰める必要がある。
大量に情報を出し入れし、その中で自分に必用なものだけをろ過させる。自然と大事な箇所だけが記憶に残るようにした方が無理なく学べる。
必用な知識だけを受容する具体的な方法は、赤ペンでマーカーや、付箋の貼り付けをオススメする。しばらく時間が経って再読しても必用な箇所を簡単に発見できるからだ。

実践する

自ら行動の中で試していく機会を探し、そこで応用してみる。
得た知識を頭の中で留めておくだけでは不十分である。実際の行動の中で使える機会を常に探しだし、実践する必要がある。しっかり考え自分のものにしないと実践できない。
実践し、応用できるようになれば、それはもう十分血肉化できており、自分のものにできている。

自分を壊すように読む

知識を増やすだけでは意味がない。その知識から自分が変化するほど知識を取り込み自分を壊し、再構成する道が血肉化させるための方法だ。
「自分を壊すように読む」具体的な方法は、「著者の思考を読む」方法だ。
この「著者の思考を読む」というのは簡単に自分の中で想像するだけでは駄目だ。真の意味での思考というのは既存の考えを辿るだけに留まらず、そこから新しい思考パターンを形成する道筋にある。
すなわち、「著者の思考を読む」と同時に、自分の中にある思考パターンを組み合わせ、新たな思考パターンを作り上げる行為に意味がある。
ただし、著者の思考に飲み込まれてはいけない。著者の思考には常に疑問をもちながら、問い続ける継続が大切である。著者がどれだけ知識人であり、聡明な考えをもっていようがそれは同じだ。著者の論理の進め方を、他の可能性も含めて検討する。著者の考える論理のプロセス、感情のプロセスを追体験すると自然に自分の思考力の強化と血肉化を両方図れるのだ。


なるべく一つ一つの読書を大切にしていきたい。
本との出会いは、一期一会なのだから。