ビッグ・フィッシュ
この映画を見て泣いた。
笑いもしたし、泣きもした。
人は過去の思い出話をするとき、どう伝えるだろう。
本当のことをありのままに伝える?
見栄を張るために嘘を並べ立てる?
この映画は、思い出を本当も嘘も織り交ぜて伝える父と、それを毛嫌いする息子の物語だ。
本編について触れていく
父の思い出話は、どれも信じられないような御伽噺だ。未来を見る魔女。巨人の友人。靴を履かない村。父の話す過去はどれも嘘のように聞こえてしまう。
そしてその話は、ほかの人間にとって受けがよく、魅力的でユーモアのある父親として見られていた。息子はどちらかといえば、そういったユーモアを好まない堅物人間だった。そこが息子にとって、もどかしさを感じていた。
僕には、この息子が父親を嫌う理由がよくわかる。
息子は本当の父親の話を聞きたかったのだろう。脚色された思い出話より、父の本音が欲しかった。父の寿命は残り短い。だから、息子は本当の姿を見たかった。
僕も実際に、そういう父親がいたら困惑すると思う。父親はどういった人物なのかわからないのは、不気味に感じるだろう。
ここから物語は進み、息子は父親について調べだす。調べるといろいろなことがわかってくる。思い出話の中に、本当のようなこともあれば、悲しいこともあっただ。
その時わかったのだろう。父の話は優しい物語なのだと。
本当のことを話して暗い雰囲気になるより、脚色した面白い話を選ぶことにした。そのほうが、誰も悲しまないからだ。父の優しさに、息子は考えを改める。
物語は終盤を迎える。父は危篤状態に陥った。
息子は父を励ますため、自分の辛さを消すために、御伽噺を父に語りかける。
その御伽噺は楽しく、魅力に満ちていて、幸せいっぱいの物語だった・・・・・・
僕はそこで泣いてしまった。
その御伽噺は儚いが、美しく、叶うことはない。
それでも懸命に語り続ける息子に心打たれてしまった。
たとえ嘘であっても、そこに救いがあるのだと信じるその姿が、僕には、綺麗に見えた。
優しい嘘は、人を救う。