物語好きのブログ

映画や本の感想、自分の考えを書いています。 

桜の開花間近、思うこと

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ブログを書き始めてから、四ヶ月が過ぎた。
一ヶ月に一度、継続報告のような記事を書いているが、これもまた習慣になってしまった。
そしてこの継続報告記事が一番書きやすいということが判明した。うーむ。
理由として考えられるのは、書く題材を決めていないということが一番の原因なのではないかと推測している。つまり、そのまま自分の思考をダイレクトに反映させているので何も悩む要素がないから、ということになる。
では、他の書く記事は悩んでいるのかといえば・・・・・・なんともいえない。どうしたら物語の面白さを上手く伝えられるのかをひたすら試行錯誤している段階ではある。そしておそらく、試行錯誤を繰り返したその先に、正解はない。ひたすら試行錯誤していくことが最善なのだと自分の中では結論づけている。例えるならば流れ行く水のようなものだ。ひたすらその環境に合うように姿や形を変えていく。そうすることで環境に適応し、流れやすいところへ流れていく。このブログも同様に、環境が変わるごとに姿や形を少しづつ変えていき、流れていく。
話は少し変わるが、最近記事を更新するペースは落ちてはいるものの、更新したいというモチベーションは上り調子だ。更新ペースが以前より落ちたという解釈ではなく、本来自分が持つ更新ペースに吸い寄せられたと解釈したほうが正しいのかもしれない。だから、あまり気にせず、気の向くままにやっていこうという考えを今は持っている。感想文を書いていて楽しいし、自分の考えを書くのも楽しい。
そして、感想文を書いていて思ったことは、その物語の面白さを伝えるには大きく分けて二つの種類があるということだ。
一つ目が感想文。自分がその作品をどう見たか。つまり、物語の内側からの視点を書くことだ。
この登場人物のどういったことがよかったとか、この物語のこのシーンがどのようによかったか。ようするに、物語をそのまま伝えるということだ。
二つ目が批評文。作品をどう普遍化させるか。つまり、物語の外側からの視点を書くことだ。
この批評に関しては、少し前に書いた書評に関してのまとめでそれなりに考えた。
「書評」に関してのまとめ - 物語好きのブログ
こうして両者を比較し、思ったことは、どちらも書き手自身の想い―――作品の「好き」を伝えることが、読み手としてはわかりやすく、作品を読みたく、見たくなる文章になるのだなということだ。
それは僕自身が他の人のブログ記事を読んでそう思ったからでもある。
結局のところ「想い」を伝えるだけでいいのだ。ただ一行だけ、「面白い」と書く。それだけ書いただけでも伝わってくるものがある。そしてそれだけでもその作品を読みたく、見たくなるときがある。
それは書き手側の想いが込められているからなのだろう。「ただ伝えたい」その想い、あるいは祈りが、人を動かすことになる。
僕もそのような文章を書きたい。
書きたいことが山ほどある。それと同時に読みたい本、見たい映画も山ほどある。これからも、ブログを継続していく。
桜の開花の間近、そう思った。