物語好きのブログ

映画や本の感想、自分の考えを書いています。 

この曲を本気で聞いた者は悪人になれない「善き人のためのソナタ」 感想

「この曲を本気で聞いた者は悪人になれない」このキャッチコピーが本作の全てを物語っている。
舞台は社会主義がまだ浸透していた旧東ドイツとなる。現代の日本とは異質かもしれない。しかし、そこに描かれていたのはどこの世界でも変わることのない人間の姿だ。社会に抑圧された人間が生み出す一つのドラマだ。
僕の中で本作は傑作だった。というかかなり好みであった。
善き人のためのソナタ [レンタル落ち]

あらすじ

1984年の東ベルリン。国家保安省のヴィースラーは反体制の劇作家ドライマンと同棲相手の舞台女優クリスタを監視するように命じられる。ヴィースラーはドライマンの住むアパートに盗聴器を仕掛けた。しかし、ヴィースラーは盗聴器から聴こえてくる世界に、心が激しく揺れ動く。

感想

冒頭で描かれるヴィースラーはまさに「冷酷無比」の言葉がふさわしい。彼は教室で学生達に尋問のやりかたを教えるのだがその授業内容がえげつない。実際に行われた尋問のテープを流しながら、嘘か真実かを見分ける方法を冷静に学生たちに説明している。学生が「非人間的ではないか」と質問をするとあっさりとその生徒の名前の欄を黒く塗りつぶす。おそらくその生徒の未来はないのだろうと安易に想像させられた。
ヴィースラーの行為は非人間的だ。しかし彼はただ「忠実」なだけなのだ。ただ今の共産主義に「忠実」なだけであって、自己を埋没化させていただけだ。
ようするに、与えれた仕事をたんたんとこなしていただけともいえる。
そんな彼だがもちろん罪の意識は感じている。だからこそ、彼の行動は次第に変化していく。
国家に対して裏切り行為を行っているドライマンを黙認したのもそのためだ。一つの罪滅ぼしでもあったのだろう。

印象に残っているシーンがある。

精神的に追い詰められたドライマンが自分の部屋で「善き人のためのソナタ」をピアノで弾くシーンだ。
もちろん、ドライマンは誰も聴いていないからこそ必死に音を奏でている。自分の心の叫び。悲哀を音にのせている。
ドライマンの部屋を盗聴していたヴィースラーはその旋律に目を閉じ、静かに涙を流す。

僕はこのシーンが大好きだ。

まず、この「善き人のためのソナタ」がいい。

その旋律は悲しさが溢れ出ていながら、熱く秘められた想いが音に込められていて、自然に、静かに、まるで降り始めたばかりの雪のように、音が積もっている。その旋律は僕の心を打った。

ヴィースラーが涙を流すのもまたいい。
芸術、あるいは美を通じての「覚醒」とでもいえばいいのだろうか。抑圧された社会での苦しみ、罪の意識をひっそりと浄化している。
冷酷であった彼が涙を流すそのギャップにも心動かされた。

ここには書かないがラストシーンも大好きだ。僕好みすぎる。

芸術家に言葉はいらない。ただ作品―――「物語」で伝えるべきだ。言葉で伝わらなくとも物語で伝えることができる。
心から相手に伝えたい思いがある。だけど伝えることができない。だから物語を創る。そうして初めて、人と人は通じ合えるのだ。