物語好きのブログ

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スマートフォンを使うスマートではない人

人間は自ら作り出した道具の道具になってしまった

作家のヘンリー・デイヴィッド・ソローが残した言葉が最近になって、身にしみる。

スマートフォンの普及により、多くの人がかんたんにインターネットとつながれるようになった。
今ではグーグル会長のエリック・シュミットが発言した「インターネットは消える運命にある」の真意がなんとなく僕にもわかりつつある。

ことわざに「灯台下暗し」とあるが、同様の状況になるのだろう。
あまりにも身近にありすぎてインターネットそのものが盲点となり、世界から溶けて消えていくのだ。


スマートフォンは便利だが危険でもある。なぜなら、人と話すのに疲れたら電脳の世界に逃げることができるからだ。

僕の友人の中に、僕と話していたり遊んでいたりしても絶対にスマホを触らないやつがいる。その友人は僕のことを思ってくれているのか、ただスマホに興味がないのかはわからないが、僕の中では共に過ごす時間を大切にしてくれている素敵な人だと感じる。その人と過ごす時間はとても貴重に思う。



それにくらべて僕はどうなのだろう。
誰かと一緒にいるとき、僕は話すことが苦手だからと言い訳にして、たまにスマホをいじったりする。今すぐ返さなくともよいメールの返事を送ったり、眺めなくてもいいツイッターのタイムラインを眺めたり…全然スマートではない。



最近、道具に使われてしまっている自分を意識するようになった。
いつの時代でもそうだが、僕たちの周りには道具が溢れかえっている。その道具を上手に扱っている人はどれだけいるのだろうか。
僕の周りでも、誰かといるときにスマホをいじる人がいる。観光地を旅行していたときに見かけた家族連れが全員スマホをいじって観光地をほとんど見ていなかったのには驚いた。その周りにいた何組かのカップルも同様で、「道具の道具」になっているその光景は、ある意味で恐怖だった。



必要以上に繋がりすぎた社会は、目の前にある現実を消失させた。
微妙な距離感こそが重要で、ブログ同士の静かな交流はその距離感を上手く保っているように見える。
その距離感でいいのだと思う。
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新しい情報に触れたくなる心情もよくわかる。人は新しいものに接触したがる欲求を持っていて、毎時更新されるニュースに触れたり、面白い情報が飛び交っていたり、スマホを使っていると簡単に時間を浪費することがくせになるのだ。
おそらく、内側から生じる「寂しさ」を遠ざけたくなるのだろう。




だけど、その寂しさや辛さを受け入れ、目の前にある現実に直視する必要もあるはずだ。
インターネットの虚構に浸ってばかりだと、自己がインターネットと繋がり、奇妙な全能感が人間を支配する。
しかしそれは錯覚で、突然自分が賢く、スマートになるわけではない。



どれだけインターネットが発達しようとも、相手と共有しているその瞬間に勝るものはないのだ。友人や家族と面と向かって言葉を交わすその瞬間を大切にしてみるのも悪くないだろう。

僕も大切にしていきたい。