月に一度の反省
さて、ブログを始めておおよそ五ヶ月がすぎた。いろいろと考えが僕の頭の中を渦巻いている。それらのことを少し書いていこうと思う。
月に一度の反省は、次から月末にする。
感想文の変化と考え
まず、感想文のスタイルが少しずつ変化してきている。
その変遷を下に表すと
自分のためだけに、自分が記事を見直したら自分の記憶と感情が再生されるように書く。
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他者を意識するようになり、他者にも共感してもらえるように、自分の記憶と感情が再生されるようにネタバレを含みつつ書く。
↓
さらに他者を意識するようになり、その作品を観ていない人でも僕の文章を読んでもらえるように、観た人にも共感してもらえるように、自分の記憶と感情が再生されるようにネタバレを控えつつ書く。
この変化は楽しい。
明確な変化が自分自身でも感じ取れている。
感想文の書き方もいろいろとおかしいのかもしれない。しかしこれが僕のスタイルなのだろう。流れる水の如く形を変えるように。
個人的に悩みどころなのがどこまで「ネタバレ」していいのかという線引きだ。正直いってどこまでがネタバレなのかは完全に人によると思うので、自己裁量でやってはいるのだが不安は拭えない。
あと、当たり前といえば当たり前だが僕の感想が人と異なる可能性が存分にあるということだ。
僕が面白いと思っても、他の人には面白くないということはよくあったりする。なのに感想文で「ここが良い!」とか無責任に書いていいのかなとも少し思ってた。
今はその二つに関して「気にしてもしかたがない」という結論に至っている。
面白い感想文は書けないけれど、僕がその作品の好きなところを伝えることさえできればいいかなと、今はそう思っている。
ありがたいコメントも時折貰っている。自分のやっていることが間違いではなかったんだと客観的にそう思えた。そう思えたのはとても大きい。
これからも自分が伝えたいことを書いていきたい。
肝心なのは、あくまで、「自分の書きたいことを書いて、たまたま反応がもらえたんだ」と思ってやっていくことだと考えている。
反応を気にしすぎると、自分が書きたいことを見失うからね。
コメントを貰ったりして感じたのは、単純に「うれしい」という事実だ。
それらは人のもつ本能に起因するものが大きいが、やはり嬉しいものは嬉しい。これははっきりと認めなければならない。
そして思ったのは、僕もコメントを時々書いていこうということだ。
あまり積極的にはならないだろうけど、気が向いたら思ったことをどこかのブログでコメントを書き残していこうと思っている。
喋ることは苦手な僕も、書くことならできるというのに気がついたからだ。
最近始めたこと
話は変わるが最近久しぶりに作曲を始めた。無料の作曲ソフト「domino」でちょくちょく遊んでいる。作曲というのもおこがましいほどのレベルだ。作曲の「さ」の字も知らない僕ではあるのだが、なかなかに楽しいので、ちまちまと学んでいっている。学んでみて思ったのが、「作曲」と「文章を書く」行為は似てるのだなということ。具体的に何が似ているのかといえばまだはっきりと言葉にできないんだけども。
今週読んだ本
村上龍の「五分後の世界」と、柳 広史の「ジョーカー・ゲーム」を読んだ。
両方面白かった。
- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 1997/04
- メディア: 文庫
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- 作者: 柳広司
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2011/06/23
- メディア: 文庫
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